大阪天王寺の有本珈琲問屋さん

年老いた珈琲豆焙煎屋が脱サラして、母親が営んでいた自家焙煎コーヒー豆小売専門店を引き継いだのが、1990年代の前半でした。

年老いた珈琲豆焙煎屋の母親がコーヒー豆自家焙煎を開始したのが、1989年夏のことです。その2年くらい前、喫茶店から焙煎コーヒー豆の小売店に衣替えして、少し焙煎コーヒー豆(UCCから仕入れていました)が売れるようになっていた時期で、最初のコーヒー豆自家焙煎ブームが到来していた頃の話です。

 

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全日本コーヒー商工組合連合会のホームページより引用  

関西の自家焙煎コーヒー豆小売御三家

当時(1990年前後)、大阪天王寺の有本珈琲問屋、西宮のグレート珈琲、京都の出町輸入食品が、関西における自家焙煎コーヒー豆小売店の御三家的な存在でした。

脱サラして自家焙煎コーヒー豆小売専門店を営む年老いた珈琲豆焙煎屋は、1990年代、この3つの珈琲豆焙煎屋さんの物真似商売をしたいと考えていました。

しかし、資金力がなく自家焙煎コーヒー豆商売の経験も浅かったので、イメージトレーニング的に頭の中で物真似するのが精一杯でした。

 

有本珈琲問屋

年老いた珈琲豆焙煎屋が、脱サラ当時、一番イメージトレーニングの参考にさせて頂いた珈琲豆焙煎屋さんが有本珈琲問屋さんです。何回か、密かに見学に行きました。

商店街にある昔ながらの店舗で、店頭には珈琲関連商品が所狭しと並べられていて、その店内に設置されているコーヒー豆焙煎機で自家焙煎しているという雰囲気が気に入っていました。

1990年代の前半頃、少しでも有本珈琲問屋さんの店舗イメージに近づこうと、商品紹介の手書きパンフレットを店内の所々に張り出したり、店頭に自家焙煎コーヒーののぼりを立てたりしたものです。

 

有本珈琲問屋さんの初代店主は和歌山市有本出身

有本珈琲問屋さんの初代は、和歌山市の有本出身だと聞いています。誰に聞いたかと言うと、年老いた珈琲豆焙煎屋が店主をしているエカワ珈琲店のお客さんからです。20数年以上も前のことですが・・・。

有本珈琲問屋さんは天王寺の駅から歩いて行ける距離に立地していて、JR和歌山駅からだと1時間半もあれば店頭に立てます。ということで、1990年代、十数人くらいのお客さんでしたが、エカワ珈琲店と有本珈琲問屋さんのお客さんが重複していて、年老いた珈琲豆焙煎屋は、度々、お客さんから有本珈琲問屋さんの話を聞いたものです。

ちなみに、当時、年老いた珈琲豆焙煎屋の営むエカワ珈琲店も、有本珈琲問屋さんの商売を真似て、珈琲問屋が小売にも対応しているというスタイルで商売を営んでいました。

 

業務卸価格で店頭販売 

大阪天王寺に店を構える有本珈琲問屋さんは、一般のコーヒー消費者にも業務卸価格で焙煎コーヒー豆を店頭販売する珈琲豆焙煎屋さんで、行列のできる自家焙煎コーヒー豆小売店として業界では知られた存在でした。

店舗に設置している焙煎機は、1日中フル回転していて、自家焙煎したコーヒー豆が飛ぶように売れているという話を聞いて、年老いた珈琲豆焙煎屋が営むエカワ珈琲店も、いつの日にか行列のできる自家焙煎コーヒー豆小売店に出世したいものだと考えたものです。

 

インターネット検索してみると

先日(2020年正月)、最近の有本珈琲問屋さんの動向を知りたいと、インターネットで検索してみると、ホームページは作っていないようですが、昔ながらの店舗商売で頑張っているのが確認できました。

年老いた珈琲豆焙煎屋が営むエカワ珈琲店は、平成の30年間、家族で営む自家焙煎コーヒー豆小売店より事業規模を拡大することもなく、零細生業パパママ経営の商売を続けてきました。何とか食べて行けていますが、自分に不甲斐なさを感じることが多々あります。

しかし、エカワ珈琲店とは事業基盤(or事業規模)が全く違いますが、有本珈琲問屋さんのようなタイプの珈琲豆焙煎屋さんが残っていて、昔ながらの珈琲豆問屋商売を続けているのを拝見すると、「これで良かったのかもしれない」と、何んとなく勇気づけられます。

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