年老いた珈琲豆焙煎屋のブログ

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VAN(ヴァン)ジャケットの栄光と挫折、そして、創業者石津謙介さんの人生四毛作論

1960年代、1970年代と、アイビーファッションで一世を風靡した『ヴァンジャケット』は、昭和26年に大阪で、後にファッションの神様と呼ばれることになる石津謙介さんによって創業されました。

大阪で創業したヴァンジャケットの業績は順調で、昭和30年には本格的な東京進出を果たします。

  

石津謙介さん率いるヴァンジャケットは、男性向けアイビー・ファッションの雄として颯爽と登場します。そして、マスコミへの露出やネーミングの巧みさなどなど、卓越したマーケティング戦略を駆使して、『VAN』という男性ファッションのブランドを作り上げて行きました。

大卒の初任給が1万2千円だった時代に、1万2千円から1万8千円のジャケットが飛ぶように売れたという伝説を持つファッションブランド、それが男性ファッションの『VAN』だったわけです。(コーヒーブランドの参考になるかも)

 

1960年代、若い男性の憧れのブランドとして急成長したヴァン・ジャケットは、1970年代に入っても売り上げを順調に増やし続けていたように見えたのですが、強気一辺倒の営業姿勢も災いして売れ残り在庫が膨らんでいたようです。

その売れ残り在庫を処分するために、頻繁にバーゲンセールを実施するようになって、ブランドへの信頼性を失墜させて行ったのだと思います。

年老いた珈琲豆焙煎屋も、1970年代の前半、年に何回か南海電車の難波駅近くにあった大阪球場(当時は、南海ホークスの本拠地)で開催されていたVANのバーゲンセールを見に行った記憶があります。

 

資金ショートを防ぐために、総合商社の出資を仰いだりもしたそうですが、昭和53年(1978年)4月6日、約500億円の負債をかかえて、東京地方裁判所に会社更生法を申請しました。

ヴァンジャケットの年商のピークは、昭和50年(1975年)の450億円でしたが、この年商は、相当な無理をして達成した金額だったと言われています。

高級ブランドの売り上げ限界に挑戦する、『命がけの跳躍』に失敗した結果としてのブランド崩壊だったと、現在(2020年)の年老いた珈琲豆焙煎屋は考えています。

 

VANジャケットの創業社長だった石津謙介さんは、その人生で三度無一文を体験したと、宇田川悟さんの著書『VANストーリーズ(石津謙介とアイビーの時代)』集英社新書に記されています。

一度目は昭和20年の敗戦で無一文になって、その後、VANジャケットを創設、アイビーファッションで大成功を収めたのですが、67歳のとき、500億円の負債をかかえて倒産、またまた無一文になっています。

その波乱万丈の人生体験から生み出された人生観が、『人生四毛作論』だと記されていた記憶があります。

 

石津謙介さん86歳のとき(1998年1月発行)の著書、『人間的な-かっこいい貧乏人の人生四毛作論(三五館発行)』で、その人生観を披露しているそうですが、年老いた珈琲豆焙煎屋は、その本を読んだことがありません。

石津謙介さんの『人生四毛作論』を知ったのは、 宇田川悟さんのVANストーリーズ(集英社新書)を通じてでした。

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ちなみに、VANジャケットの創業社長としてもてはやされていた頃の石津謙介さんも、人生のどん底を何度体験してもくじけない石津謙介も、どちらの石津謙介さんをも尊敬しています。尊敬というよりも、親しみを感じているのかもしれません。

 

以下は、その『VANストーリーズ』からの引用です。 

 「人生を米の生産にたとえてみると、大変よくわかる。土地が肥え、気候がよければ、米も四度を限度に収穫することができ、人生もうまく過ごせば、四度の収穫期があるということである。」(『人間的な』より)

 人間、100歳まで生きると仮定して、それを25年ごとに区切る。すなわち一毛作目は25歳までの人格形成期、二毛作目は50歳までの必死に働いて生活を形成する時期、三毛作目は75歳までの新しい人生を楽しむ時期、最後の四毛作目はもうけものの人生で思うままに生きる時期。