毎月、夫婦で手取り20万円の年金収入があれば、都会と田舎の中間的な性格を持っている地方の中核都市でなら、まあまあ余裕を持って暮らせるということになっています。
公租公課を引かれての手取り年金収入20万円なら、1日7000円弱消費できるので、ある程度の貯えがあれば、普通は、まあまあ余裕を持って暮らせるのかもしれません。(今までは、そうでした)
年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦は、人口30数万人の中核都市和歌山市で暮らしています。
医療施設や介護施設は充実していて、公営の文化施設やスポーツ施設も充実していて、民間の文化施設やスポーツ施設も賑わっています。
郊外型の大規模ショッピング施設やロードサイド型商業施設も数多く立地しています。食品スーパーも、数多く営業しています。
地下鉄などの公共交通機関が整備されている都会と地方中核都市の最大の相違点は、自動車を所有して運転できなければ、ものすごく不便な生活が待っているということです。62歳~65歳の3年間、自動車を所有しない生活を実践して、その事を痛感しています。
年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦ですが、年齢差があるので、現在のところ、毎月の手取り年金収入は約7万円です。年金以外の所得の方が多いので、介護保険料は天引きですが、国民健康保険料は別払いです。
年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の生活費ですが、大体1日に1万2千円、毎月30数万円くらい費やしています。人生の手持ち時間がそれほど多くないわけですから、今くらいの生活レベルは最低でも維持したいと考えています。(理由があって、医療費に年間数十万円必要です。)
ということで、公的年金だけで暮らすのは無理ですから、自家焙煎コーヒー豆小売ビジネスを夫婦2人だけで営んでいます。もちろん、零細生業パパママ商売です。
コーヒー生豆を商社から購入して、小型生産用コーヒー豆焙煎機を使って焙煎して、出来上がった自家焙煎コーヒー豆を店舗とオンライン通販で小売販売しています。
来年の秋には70歳という年齢になって、自家焙煎コーヒー豆小売商売は、高齢者フリーランス(自営業者、個人事業主)にものすごく向いている商売だと実感しています。
コーヒー豆自家焙煎歴30年、自家焙煎コーヒー豆小売歴30年、この2つの経験・技術・知識の蓄積を上手に使えば、頑張らずに気楽に働いても、これまでの生活レベルを維持するくらいは稼ぎ続ける自信があります。
もちろん、夫婦2人健康で働くことができたならという前提が必要ですが。
僅かな金額かもしれませんが、65歳になって公的年金を受給できるようになって、それが、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の商売にある変化をもたらしてくれました。
薄利多売商売からの脱却に、毎月の手取り年金収入約7万円が大きく貢献してくれました。
最低、毎月7万円の定期収入があるということで、思い切って、付加価値を頂戴する商売に転換できたわけです。
「とんかつ屋の悲劇」という論文には、高齢者夫婦が営んでいるとんかつ屋さんが、高品質のトンカツ定食を低価格で販売できるのは、公的年金を補助金として使っているからだと書いてありましたが、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の場合は反対に、付加価値を頂戴するための補助金として公的年金を利用できたわけです。
おそらく、前者のような公的年金の使い方をする高齢者フリーランスはほとんどいなくて、大半の高齢者フリーランスは後者のように公的年金を使っているはずだと年老いた珈琲豆焙煎屋は確信しています。
毎月、15万円~20万円くらいの年金収入があればと思うこともあります。国民年金ではなくて、厚生年金に加入できる仕事に就いていたらと考えることもあります。
毎月15万円~20万円を生活資金に使えれば、そして健康ならば、地方の中核都市で余裕を持って暮らせるとは思えませんが、贅沢しなければ何とか普通に暮らして行けると考えています。(今のところはという前提がありますが)
しかし、好きなとを仕事にするフリーランス(自営業者、個人事業主)として30年間働いてきたので、69歳の今日でも、それほど頑張らなくても、気楽に働いていても、これまでの生活レベルを維持できているわけですから、それは贅沢なのかもしれません。
30年前に自家焙煎コーヒー豆小売商売に飛び込んでいたので、70歳近くの年齢になっても、若い世代の同業者に後れを取ることなく働き続けていられるわけですから。
行列のできる「とんかつ屋」を生業で営んでいる高齢者夫婦と同じで、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦も、零細生業パパママ店規模の珈琲商売が大好きです。
この商売が生きがいで、この商売を続けていられるので、まあまあ元気な日々を過ごすことができているのだと思います。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、できるだけ健康を維持して、残りの人生を我慢せずに楽しく暮らしたいと考えています。
ということで、70歳を越えても、健康ならば、高齢者フリーランスで気楽に働いて稼ぎ続けて、残りの人生を我慢せずに楽しく暮らして行きたいと考えている今日この頃です。