京都に六曜社という屋号の老舗喫茶店があるのは、1970年代の半ば頃から聞き知っています。一度も訪れたことはありませんが。
その京都・六曜社の三代(創業者夫婦、二代目、三代目)のストーリーをまとめた本が、2020年9月1日に京阪神エルマガジン社から発行されています。
書名は「京都・六曜社三代記、喫茶の一族」で、著者は京都新聞に勤務されている樺山聡(かばやまさとる)さんです。
京都・六曜社は、マスコミや著名人にしばしば紹介されている有名な老舗の喫茶店で、1950年(昭和25年)から六曜社という屋号(店名)で珈琲商売を営んでいます。
「京都・六曜社三代記、喫茶の一族」は、その老舗喫茶店の経営者三代、初代の奥野實・八重子夫妻、二代目の奥野修さん、三代目の奥野薫平さんの生き様をまとめたノンフィクションストーリー、それが年老いた珈琲豆焙煎屋の読後感です。
戦争終結直後、初代の奥野實さんが食べて行くために始めた屋台喫茶店から、この物語は始まっています。
満州で知り合った奥野實さんと八重子が結婚、日本に帰国後、實さんの生まれ育った京都で喫茶店の経営を始めて、1950年(昭和25年)にその店を畳んで移転、京都の繁華街に六曜社という屋号(店名)の喫茶店を開業します。
昭和30年代の喫茶店は、京都に限らず、日本全国どこの町でもそうだったと思うのですが、相当に稼げる商売でした。
六曜社の創業者である實さんはオートバイや自動車に、妻の八重子さんは観劇に旅行と、その頃としては、相当に贅沢な暮らしをしていたようです。
二代目を継ぐ息子さんたちの中で、中心的な役割を演じているのが奥野修さんで、ミュージシュンとコーヒー豆自家焙煎店のマスターという2つの顔を持っています。
『京都・六曜社三代記、喫茶の一族 』は、ミュージシャンの顔を中心に、彼の青春物語を語っています。
三代目の薫平さんは、京都の喫茶店チェーンに勤務したあと、20代で独立、自前の喫茶店を2年ほど営んだあと、家業の六曜社を引き継いでいます。
昔ながらの喫茶店ですが、平成になってからは、どこの町の喫茶店もそうにのですが、経営は四苦八苦になっていました。
全国区の知名度を持つ六曜社も、その例外ではなくて、財布の中身は火の車になっていたようです。それを引き継いで、立て直そうとしているのが三代目の薫平さんだと、『京都・六曜社三代記、喫茶の一族 』は紹介しています。
年老いた珈琲豆焙煎屋は、夫婦2人だけで零細生業パパママ規模の自家焙煎コーヒー豆小売専門「エカワ珈琲店」を営んでいます。
40歳を目前にして脱サラ、自家焙煎コーヒー豆小売商売の仕事に就きました。
エカワ珈琲店の前身は、昭和30年(1955年)の晩秋に創業した和歌山市のビジネス街に立地する純喫茶コロナという屋号の小さな喫茶店でした。
純喫茶コロナは、店舗兼自宅の喫茶店で、京都の六曜社と同じくらいの席数でしたから、1960年代、1970年代前半の、あの大らかだった喫茶店の雰囲気は子供心に覚えています。
『京都・六曜社三代記、喫茶の一族』を読んでいると、その子供の頃の記憶が蘇ってくるようで一気読みしてしまいました。
京都・六曜社の誕生が1950年(昭和25年)で、和歌山市で純喫茶コロナ(2020年現在はエカワ珈琲店)が誕生したのが1955年(昭和30年)です。
京都・六曜社は珈琲商売70年以上続けていて、和歌山市のエカワ珈琲店は珈琲商売を65年続けています。
六曜社の二代目とエカワ珈琲店(純喫茶コロナ)の二代目は、ほぼ同年代です。そして、どちらもコーヒー豆を自家焙煎しています。親近感を感じるのは、当たり前です。
【※】2022年11月15日(火曜日)の時点では、アマゾンで新刊を販売しています。残念ながら、キンドル版はありません。