1992年の初版発行以来、30年に渡ってロングセラーを続けている、臼井隆一郎さんの名著『コーヒーが廻り世界史が廻る』の端書の記述は、人類が珈琲を発見してから、今日、私たちが楽しんでいる嗜好飲料としてのコーヒーに至るまでの長い年月の歴史を、ものすごく簡単に表現してくれています。
【参考】臼井隆一郎さんのロングセラー著作「コーヒーが廻り世界史が廻る」は、下のリンク先ページで紹介しています。
世界で最も人気のある嗜好飲料「コーヒー」の歴史は、ヤギと修道士の発見伝説(カルディーの発見伝説)から始まります。
ある灌木に成る赤い果実を羊が食べると、その羊が興奮して騒ぎ夜も眠らない状態になっているのに羊飼い人のカルディー気づき、それがきっかけでコーヒーが発見されたという伝説です。
その後、コーヒーは、エチオピアからアラビア半島に伝わります。そして、アラビア半島から世界中にコーヒーの飲用が伝播して行きます。
15世紀頃までに、アラビア半島のイエメンでコーヒーノキが栽培されるようになっていて、16世紀には、ペルシャ、エジブト、シリア、トルコへとコーヒーの飲用が広がっていきます。
17世紀になると、イスラム教徒の飲み物であるコーヒーが、ローマ法王の洗礼を受けてヨーロッパのキリスト教徒の間にも広がって行きます。
当時、アラビア半島のモカ港から積み出されたコーヒー豆を使って焙煎していて、器具や飲み方もトルコ式のコーヒーそのままだったと伝えられています。
洗礼を受けてキリスト教徒の飲み物となったコーヒーは、ヨーロッパの主要都市に広がって行きます。
コーヒーハウスは、ヨーロッパの国々の主要都市で一種の公共の場としての役割を担っていたのだと思います。例えば、ロンドンのコーヒーハウスで1ペニーを支払ってコーヒーを注文すれば、政治上のニュースを聞いて様々な出来事について話し合うことができたと伝えられています。
1600年代後半、イギリス統治となっていたニューヨークでは、コーヒー豆を焙煎粉砕して抽出したコーヒーに、砂糖やハチミツやシナモンを添加して飲んでいたと記録されています。
北米大陸でのコーヒー伝播史ですが、その初期の頃は、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアと、アメリカ各地にコーヒーハウスが建てられて行くことで、その物語が作られて行ったと年老いた珈琲豆焙煎屋は考えています。
1600年代、コーヒー栽培の中心はイエメンで、人気の輸出商品であるコーヒーの栽培を独占しようと、苗木や種子の持ち出しは禁じられていました。
しかし、コーヒー消費量が増えていたヨーロッパ諸国は、コーヒーノキを自国の勢力範囲内で栽培したいと考えていました。
オランダは、1700年頃にインドネシアのジャワ島に移植したコーヒーノキの栽培に成功して、その後、コーヒー貿易における影響力が大きくなっていきました。
ジャワ島で栽培されたコーヒノキがオランダ本国に送られ、植物園で栽培に成功、その苗木がフランス国王に献上されて、フランスの植物園でも栽培に成功します。
フランスの植物園の苗木をカリブ海の島に移植したのが、フランスの海軍士官カブリエル・ド・クリューです。
コーヒーが日本に伝播したのは、 江戸に幕府が開かれていた元禄時代(1700年前後)の頃だと考えられます。
当時、すでに長崎の出島でオランダ人たちがコーヒーを楽しんでいて、出島のオランダ商館に出入りの日本人も一緒に飲んでいたと伝えられています。
コーヒーの日本伝搬については、日本にコーヒーがやって来たというエントリー記事を書いています。
『エカワ珈琲店版、コーヒー伝播史』は、下記リンク先有料記事のダイジェスト版です。
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