日本へのコーヒー伝播ですが、江戸に幕府が開かれていた元禄時代(1700年前後)の頃、すでに長崎の出島でオランダ人たちがコーヒーを楽しんでいて、出島のオランダ商館に出入りの日本人も一緒に飲んでいたと伝えられています。
江戸幕府の御家人だった太田蜀山人は、長崎奉行所に勤務していた1804年にオランダ船内にてコーヒーを飲んでいます。
しかし、
日本人が本格的にコーヒーと出会うは、1854年、浦賀にペルーがやって来て開国されて、コーヒーの輸入が始まった1858年以降のことだと言われています。
この記事は、note に投稿している記事『 年老いた珈琲豆焙煎屋の独断と偏見に基づくコーヒー伝播史』の、日本にコーヒーが伝播して来た部分のダイジェスト版です。
詳しくは、有料記事(100円)『 年老いた珈琲豆焙煎屋の独断と偏見に基づくコーヒー伝播史』でご覧頂ければ幸いです。
ちなみに、『 年老いた珈琲豆焙煎屋の独断と偏見に基づくコーヒー伝播史』は、以下の項目で構成しています。
(1)カルディーのコーヒー発見伝説(エチオピア)
(2)アラビア半島から
(3)コーヒーがヨーロッパにやって来た
(4)ローマ法王クレメンス8世のコーヒー洗礼
(5)ロンドンのコーヒーハウス
(6)ペニー大学とロイズ保険取引所(保険市場)
(7)コーヒーの北米大陸への伝来
(8)北米大陸のコーヒーハウス
(9)ボストン茶会事件
(10)コーヒーノキの移植時代
(11)オランダの場合
(12)コーヒーノキがアムステルダムにやって来る
(13)ガブリエル・ド・クリュー
(14)日本にコーヒーがやって来た
(15)太田蜀山人、コーヒーを飲む
(16)ペルー来航とコーヒー
(17)鄭永慶と可否茶館
(※)紀州藩の医学館後の病院/2020年現在は15階建てマンションになっています。
『 年老いた珈琲豆焙煎屋の独断と偏見に基づくコーヒー伝播史』のダイジェスト版、『エカワ珈琲店版、コーヒー伝播史は』は、もちろん無料で読んで頂けます。