年老いた珈琲豆焙煎屋のブログ

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コーヒーの語源と大雑把な歴史

コーヒー発見の物語は、1000年以上前にさかのぼると年老いた珈琲豆焙煎屋は理解しています。

そして、人類は、16世紀頃から着実にコーヒーを楽しむようになって行ったと考えています。

 

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【目次】

 

コーヒーの始まり

1000年くらい前の昔、エチオピアのアビシニア高原で、遊牧民族のガラ族がコーヒーの果実を潰して、それに油を加えてボール状にして携帯食に用いたと伝えられています。

その後、熟した果実の果肉と乾燥した外皮からワインが作られるようになって、ついで薬として利用されるようになって、西暦1300年頃からコーヒー豆の焙煎が始まったと考えられています。

焙煎したコーヒー豆で淹れたコーヒーは、最初の頃、イスラム教の修道者の眠気覚ましとして使われていたと言われています。

それが、1454年にアデンの回教寺院で一般の回教徒にも飲用が許されると、またたく間に、コーヒー飲用の習慣はイスラム圏全域に拡大して行ったと言われています。 

コーヒーについて最初に書物で紹介したのは、アラビア人医師のラーゼス(Rhazes/850~922年)だと思っています。

最初は食物として、次にワインとして、その次には医薬品として、そして、紀元700年頃からは飲み物として利用されるようになったとコーヒーを紹介している書物だと言われています。

このラーゼスの話については、アブダルカディールの「アラビアの手書本(1587年)」に収められているとのことです。

 

コーヒーの語源

最初に英語の出版物にコーヒーが登場するのは、1598年にロンドンで出版された「リンスクーテンの旅」という本の中で、オランダ人のパルダヌスが注釈でコーヒーに言及している部分です。

その注釈では、コーヒーを「チャオウア(chaoua)」と表現しています。

ヨーロッパの諸言語に「コーヒー」という言葉が入ってきたのは16世紀の終わり頃のことで、イタリア語のカフェ(caffe)から派生した言葉だと考えられています。

もともとは、アラビア語の「カーワー(qahwah)」を語源としていると言われているのですが、アラビアから直接イタリアに入ってきたのではなくて、オスマントルコの「カーヴェ(kahve)」というトルコ語を経由してイタリアに入って来たと考えられています。

アラビア語の「カーワー(qahwah)」という単語は、最初、果実酒(ワイン)を意味する言葉でしたが、その後、飲料全般に使われる言葉となっていったとされています。

また、「カーワー(qahwah)」という言葉は、食欲が無いという意味を持っているとのことです。

コーヒーは、人間の空腹感を鈍くすると考えられていたのかもしれません。

ヨーロッパ諸言語に入って来た「コーヒー」という言葉ですが、アフリカの言葉が変形したもので、コーヒーノキの原産地と考えられているエチオピア西南部の高地の町「カファ(kaffa)」と関係があるとする説があるようです。

しかしながら、それを証明する証拠は全く存在していないようです。

エチオピアでは、コーヒーのことを「ブン(bunn)」という用語で表現していて、コーヒーの原産地と考えられているエチオピア西南部の高地エリアではコーヒーのことを「ブン(bun)」と呼んでいるとの事ですから。

 

大雑把な歴史

コーヒーは、コーヒーノキになる果実の種子(コーヒー生豆)をローストして、そのローストしたコーヒー豆から、コーヒー特有の酸味や風味などの成分を水(お湯)の中に溶け込ませた飲み物だと年老いた珈琲豆焙煎屋は理解しています。

コーヒーノキは、主に赤道付近のラテンアメリカ、東南アジア、南アジアおよびアフリカの国々で栽培生産されています。

そのコーヒーノキになる赤く完熟した果実(コーヒーチェリー)の種子が、コーヒー生豆です。

コーヒー生豆は、世界で最も大量に取引されている農産物の一つです。 

コーヒーは、世界で最も多く愛飲されている飲み物です。

エチオピアの北東地域で発見されたコーヒーは、最初、アラブ世界でのみ栽培されてたのですが、その後、ヨーロッパ諸国の植民地に熱帯地域が広がって行きました。

コーヒーは、数々の社会において重要な役割を演じて来た事が知られています。

信用できる記録によると、15世紀の中頃、アラビア半島に位置するイエメンのスーフィー教会にて、一般の回教徒にも飲用がゆるされたのが、コーヒーが世界中の人たちに愛される飲料となる最初の第一歩だったようです。

コーヒーの飲用は、イスラム世界からインドやイタリアに拡がり、その後、他のヨーロッパの国々へ、そして、インドネシアやアメリカへと拡がって行きました。

東アフリカやイエメンでは、宗教的儀式に使用されていたようです。

その結果として、エチオピアの教会は、メネリク2世(皇帝在位1889年~1913年)の時代になるまで、宗教儀式と関係の無いコーヒーの消費を禁止していました。

オスマン・トルコでは、17世紀、政治的な理由でコーヒーの飲用が禁止されていた時期があります。

ヨーロッパでは、コーヒーハウスが反抗的な政治活動の拠点になっていると考えられていた時期もあります。

コーヒー豆は、コフィア属のいくつかの種の常緑の熱帯性低木になる果実の種子(豆)です。

最も一般的な2つの栽培種は、風味が優れていると評価されているアラビカ種と、比較的に栽培が容易なロブスタ種です。

ロブスタ種は、コーヒーに最大の被害を及ぼす葉さび病菌(ヘミレア)に対する抵抗力を持っています。

 

コーヒー豆は重要な輸出商品です。

コーヒー豆ですが、2004年には、12カ国で農産物輸出商品のトップの地位に輝いていて、2005年には、貿易額の大きい7大農産物の一つがコーヒー豆だとされています。

コーヒーの栽培が自然環境に与える影響については、いろいろな議論が存在しているようです。

コーヒーの消費と一定の健康状態を関連付ける研究も、数多く存在しているようです。

コーヒーの健康に対する総合的な効果については、色々な角度から幅広い議論がなされています。

また、コーヒーの淹れ方が、健康に影響を与えると言う研究報告もあるようです。