喫茶店商売の最盛期だった1980年代の中頃、喫茶店の店舗数は10数万店を数えていました。そして、その大半を個人経営の喫茶店が占めていました。
それが、1990年前後の頃には約13万店舗と、数年の間に3万店舗から4万店舗も減少していました。
そして、巷間では、「喫茶店からのコーヒー離れ」という風評が流れていたわけです。
当時の雑誌記事(月刊喫茶店経営)に、そのような風評が流れる原因と、その対策に関して投稿した記事が掲載されています。
その記事を書いたのは、生前、高名なコーヒー研究家で「かなざわ喫茶村」の村長をされていた鞍信一さんです。
4分の1世紀以上前の記事ですが、現在(2024年)でも通用する内容の記事となっています。
やはり鞍信一さんは、年老いた珈琲豆焙煎屋など珈琲人(コーヒーびと)の偉大なる大先輩なのだと思います。
その内容を簡単に紹介させて頂くと、以下のような次第になります。
まず、風評が流れる原因についてです。
インスタトコーヒーの普及、自動販売機で缶コーヒーが売れている、コーヒーメーカーが普及して家庭や職場でコーヒーを簡単に淹れられるようになった、喫茶店のコーヒーが美味しくない、以上4点です。
それらの原因に対する対策です。
自動販売機のような商売をしてはダメ、仕入れたものをそのままお客さんに売る商売をしてはダメ、店は個性的でなければダメ、そうすれば小さな個人店でも生き残れる。
1990年代の初め頃、当時、柴田書店が発行していた月刊喫茶店経営に、鞍信一さんが連載していたコラム記事に書かれていた喫茶店が生き残るためのエッセンスです。
何んといっても、昭和の個人経営の喫茶店にはものすごいパワーが存在していました。間違いなく、昭和の喫茶店の主流は、生業商売のパパママ経営の喫茶店だったと思っています。
年老いた珈琲豆焙煎屋の実家は1955年開業の喫茶店でしたが、鞍信一さんの記事が月刊喫茶店経営に掲載された1990年代の初めころは、自家焙煎コーヒー豆小売専門店に衣替えしていました。
2024年、その頃から30年以上の年月が経過しています。
その間、金沢喫茶村の村長だった鞍信一さんのアドバイス、「自動販売機のような商売をしてはダメ、仕入れたものをそのままお客さんに売る商売をしてはダメ、店は個性的でなければダメ、そうすれば小さな個人店でも生き残れる。」の記事を何回も読み返して、コーヒー豆自家焙煎店商売で頑張って来ました。
その結果、個人経営(夫婦二人だけ)で吹けば飛ぶような小さなコーヒー豆自家焙煎店を、今も続けています。
思い込みかもしれませんが、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦のコーヒー豆自家焙煎店は、相当に個性的な存在だと自負しています。
どのように個性的なのかは、ekawacoffee.jp をご覧になって頂ければと思います。