当ブログの珈琲関係記事以外の記事は、一部記事を除いて削除しました。メインブログの『年金だけでは食べて行けないので』に再掲載して行く予定です。

江戸徳川幕府の時代、自営業者は百姓と呼ばれていて複業が当たり前だった

江戸徳川幕府の時代は、江戸・大阪・京都といった都市や大名の城下町には武士・町民が居住して、それ以外の農村部には百姓が居住するとされていた時代です。

田畑を耕す人たちだけでなくて、商工業に従事する人たちも、農村部に住んでいれば、皆、百姓と呼ばれていたわけです。

 

そして、田畑を耕す人たちも、生業的な商売や職人的な仕事を兼業していたわけです。

都市部に居住して生業を営んでいる町人と違って、地方の農村部で生業を営む人たちには、農業に従事する人や漁業に従事する人の兼業が多かったみたいです。

江戸徳川幕府時代の日本の地方の農村部では、収入源を分散するという形で生業的な商工業が営なまれていたのだと考えています。

 

この時代、日本の地方の農村部で百姓と呼ばれていた人たちの大半(あまり経済的に恵まれていない百姓)は、現在の自営業者と同じような境遇にあったのかもしれません。

江戸徳川幕府の時代は、平和で安定した時代でしたが、経済の成長はゆっくりしていたみたいです。

現在の日本の地方の町ですが、平和で安定しているのですが経済の成長はゆっくりとしたものです。見方によっては、江戸徳川幕府時代の経済状況に良く似ているのだと思います。

 

だとしたら、地方の町で生業に従事している自己雇用者(or自営業者orフリーランス)は、江戸徳川幕府時代の農村部の生業従事者の営業の仕方を研究してみたら、何か参考になる事があるかもしれないと考えているわけです。

ちなみに、地方の町で30年近く生業商売を続けて来た経験から、地方の町で生業商売を営むのなら収入源の分散が必要だと、公的年金を受給する60歳代後半の高齢者になってから気づきました。

公的年金の収入だけでは食べて行けないので、自家焙煎コーヒー豆小売商売を続けているのですが、収入源が2か所あるということで、我が家の暮らしは物理的にも精神的にも楽になっています。

 

エカワ珈琲店の場合、自家焙煎コーヒー豆小売商売にこだわり過ぎた結果として、長年に渡ってお金に追いかけられる生活を続けて来ました。

「今年はダメでも、来年は・・・」という発想方法が間違っていたのだと、公的年金を受給する高齢者になった頃から考え初めています。(ちょつと、遅かったかもしれませんが・・・)

「自家焙煎コーヒー豆小売商売で稼げ無いなら、〇〇と〇〇の稼ぎを増やせるように頑張ろう・・・」という発想方法が必要だったと後悔している今日この頃です。