年老いた珈琲豆焙煎屋は、40歳を目前にして公務員を脱サラ、廃業寸前の喫茶店を自家焙煎コーヒー豆小売専門店に衣替えして商売の世界に飛び込みました。
コーヒーが好きだから自家焙煎コーヒー豆小売専門店を始めたわけでは無くて、自家焙煎コーヒー豆小売商売が有望だと思ったので脱サラを決行したわけです。
商売を始めた場所は、地方の中核都市・和歌山市です。1990年前後、オフィスコーヒーサービスという商売は、物珍しい商売でした。
脱サラ直後は商売も順調に推移していて、一時的にですが、月間500kgのコーヒー豆を自家焙煎したこともあります。
そうなると、40歳で独身(バツイチ)でしたから、夜の繁華街を徘徊したりしてしたものです。
しかし、そのようなツキは長くは続きません。一つの躓きでツキが逃げて行ってしまいます。繁華街を徘徊しすぎるという躓きが、ツキを奪い去ってしまいました。
ツキが逃げ去ると、不運な出来事が発生したりして商売も上手く事が運びません。
そんなこんなで、喫茶店から自家焙煎コーヒー豆小売店に衣替えして10数年が経過した2006年、年老いた珈琲豆焙煎屋が55歳だった頃、もうこれ以上売上減少が続けば、夫婦2人(バツイチ同士で再婚していました)路頭に迷うという状況下で、10年後の自分たちを想像してみたことがあります。
その10年後、2015年、パパママ経営の生業商売に徹したことと、コーヒーの基礎の学習を続けたことが効果を発揮したのだと思います。
ある程度、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の置かれている経済環境は、少しだけですが改善されつつありました。
話が少しずれますが、40歳になってから覚えた水泳が楽しくなって、スポーツジム通いに夢中になって、40歳代、50歳代とあちらこちらのプールに泳ぎに行っていたことがあります。(50歳~55歳くらいまでは中断していましたが)
自然と、ランニングや自転車に興味のある人たちと知り合いになって、そちらの方にも興味を持ったことがあります。
水泳やランニングは、それほどお金が無くても大丈夫ですが、自転車はお金が無くてはできません。
50代中頃から50代後半、レース用自転車を購入するお金が無いので、店舗から数キロメートル離れた配達先にママチャリで自家焙煎コーヒー豆を配達していたことがあります。
この記事の内容を膨らませて書いて記事を、年老いた珈琲豆焙煎屋がキンドルでセルフ出版している電子書籍『コーヒー豆自家焙煎店マスターの独り言』に収録しています。
この記事は、note で有料公開している『商売中心で脱サラ後の年老いた珈琲豆焙煎屋の人生を振り返ってみました』を参考にして、39歳で脱サラした年老いた珈琲豆焙煎屋の30年間を商売中心で振り返ってみた読み物です。
この記事を、もっと濃密にした有料記事が『商売中心で脱サラ後の年老いた珈琲豆焙煎屋の人生を振り返ってみました』です。