年老いた珈琲豆焙煎屋の珈琲物語

年老いた珈琲豆焙煎屋は、連れ合いと2人だけで零細生業パパママ規模のコーヒー豆自家焙煎店を和歌山市で営んでいます。その店の屋号は「エカワ珈琲店」です。そのエカワ珈琲店が発信しているコーヒーストリーを楽しんで頂けたら幸いです

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零細生業商売の拠点は自宅が一番だと考えています

エカワ珈琲店の店舗ですが、和歌山県庁・和歌山市役所や中央官庁の和歌山庁舎、それに博物館や美術館・図書館といった文化施設、証券会社・保険会社・都市銀行の支店・支社が集積している和歌山城周辺地域に立地しています。

 役所や金融機関が集積している和歌山市の中心ビジネス街なのですが、地方の県庁所在地ということで、大都市の中心ビジネス街と違って住宅も数多く存在していて、相当数の住民がこの地域で生活を営んでいます。

 

そのような立地で、エカワ珈琲店は商売を営んでいるのですが、別に立地に依存する商売を営んでいるわけではありません。

先祖から譲り受けた土地・建物・店舗が、この立地に位置しているので、この立地で商売を営んでいるだけです。

 

何年か前まで、立地に依存する商売(古典的な地域密着商売)を営んでいたわけですが、現在のエカワ珈琲店は、立地に全く依存しないで商売を営むことができます。

自慢話になるのですが、現在の店舗立地でなくても、和歌山市および和歌山市周辺で、自動車の交通に支障の無い立地でなら、それほど立地に左右されること無く、現店舗での売り上げと同程度の売り上げを確保することなど、簡単に達成する自信があります。

 

どの立地で商売を営んでも、通販の売り上げが変化しないはずですし、現在(2017年4月)、エカワ珈琲店の店舗を利用してくれているお客さんの大半が、店舗周辺地域のお客さんではなくて、相当に遠方から来店してくれるお客さんだからです。

エカワ珈琲店が、現所在地で商売を営んでいるのは、自己所有の店舗兼住宅が、現所在地に立地しているからということで、それが一番、お金を使わないで商売を営むことができる方法だからです。

 

そこで、生業零細商売の拠点について考えるわけです。

エカワ珈琲店は、零細生業の商売を営んでいるわけですが、零細生業の商売を営むについては、それほど立地は関係しないのだと思います。

というよりも、零細生業商売の場合、立地に左右される商売を営んではイケナイのだと思います。

高額のテナント料を支払って好立地の店舗を確保する商売は、資源力のある事業者に任せておいて、零細生業の商売人は、自宅を拠点にできる商売を考えるのが最良の商法なのだと、経験から、そのように考えています。

 

エカワ珈琲店は、コーヒー豆焙煎事業者の端くれに連なっているのですが、夫婦2人で働いて、月商数十万円もあれば、何とか生活を維持することができます。

だけど、小規模であっても、会社組織のコーヒー豆焙煎事業者であれば、従業員1人の売り上げが数十万円なら、赤字になってしまいます。

中規模のコーヒー豆焙煎事業者なら、黒字を確保するのに、従業員1人の売り上げで100万円以上は絶対必要になるだろうし、規模の大きいコーヒー豆焙煎事業者なら、その1.5倍~2倍以上の売上が必要になるだろうと推測しています。

ということで、零細生業商売が、資源力のある企業商売の仁義無き攻撃から身を守る最良の方法は、自宅兼店舗、自宅兼オフィスという形態の商売を模索することなのだと考えている今日この頃です。
ただし、零細生業商売であっても、飲食店舗の場合、立地を無視することができないわけで、自宅兼店舗にこだわるのは、相当に難しいということになります。

 

脱サラした頃と、その後・・・

1992年の1月、脱サラを決意して、母親が細々と営んでいたコーヒー豆の焙煎加工小売業を手伝うことにしました。

いろいろと面白くないことが重なっていたので、再出発するつもりで、脱サラを決意した次第です。

 

喫茶店では、食べていけなくなって、1989年(平成元年)の8月に開始した自家焙煎コーヒー豆の小売販売ですが、たまたま時流に合っていたのか、脱サラ当時、母親一人では手に負えないくらい売れるようになっていました。

このブログの管理人(エカワ珈琲店の店主)が手伝うまでは、店頭販売が主体でしたが、手伝うようになってからは、事業所への配達が中心になっていきました。

 

販売量・売り上げともに、面白いように増加して、その年の12月には、1トンを販売しました。

焙煎コーヒー豆1トンといっても、ピンとこないと思いますが、コーヒー豆を販売している者には、ひとつの目安となるすごい数字です。

 

それくらい販売すると、夜の繁華街を、毎夜毎夜、徘徊することも可能です。独り身になっていたので、定石通り、夜の繁華街を徘徊したものです。

悪いこと、あるいは不運は、いつやって来るかわかりません。脱サラの翌年、1993年の6月、母親が倒れてしまいました。半年間の病院生活の後、1994年の1月、帰らぬ人となってしまいました。
 
独り身でしたから、母親の介護を優先すれば、仕事ができません。それに、コーヒーについて中途半端な知識しかなかったので、コーヒーに習熟していた母親が倒れて、お先真っ暗の状態になってしまいました。
 
母親が倒れた当初は、店番をアルバイトに任せ、コーヒー豆の焙煎と配達に精を出していました。母親の介護には、付き添い専門の方を雇っていました。
しかし、未熟な商品と応対では、お客さんが来てくれません。店頭での売り上げが急減して、配達だけに頼る状態となってしまいました。

 

収入が減少して、湯水のように出費が増えるのですから、3ヶ月くらいで、介護の方を雇うゆとりが無くなってしまいました。

介護の合間に仕事をするという状態では、仕事が上手くいくはずがありません。結局、その年の12月には、開店休業の状態になってしまっていました。 

 

翌年の1月、母親が亡くなり、もう一度再出発という気持ちで仕事に取り組んだのですが、コーヒーに対する、当時の管理人程度のレベルでは、薄利多売路線をひたすら突っ走る以外にありません。(当時は、まだ、そのような商売が通用しました)

 

現在なら、すぐに廃業ということになると思いますが、当時は、コーヒー豆の値段が、まだまだ高かった時代です。

薄利多売、過剰サービス路線で、何とかある程度まで、売り上げを回復することができました。

 

今から考えると、綱渡りの日々でした。

あの当時、今の管理人レベルのコーヒーに対する知識・経験・技術があれば、今頃は・・・と思うこともありますが、それは、無いものねだりだと思い直しています。

 

焙煎コーヒー豆をママチャリで配達していた時期もありました

40歳になってから覚えた水泳が面白くなってしまって、40代、50代と、スポーツジム通いに夢中なってしまって、さらに50代には、周りの人たちに誘発されてランニングにも興味を持ってしまって、さらにさらに50代の中頃には、自転車にも興味を持っていたことがあります。

 

泳ぐことに興味を持って、あっちこっちのプールに泳ぎに行ったりしていると、自然と、ランニングや自転車に興味を持っている人たちとも知り合いになります。

そして、その人たちに影響されて、走ることや自転車に乗ることに興味を持つようになります。 

 

スポーツジムで泳ぐことと、和歌山城の周りをゆっくりと走ることについては、それほどお金も必要なかったのですが、自転車となるとそれなりのお金が必要で、当時のエカワ珈琲店には、そのような余裕はありませんでした。

で、仕方が無いので、しばらくの間、ママチャリに乗ることにして、仕事と遊びの一石二鳥ということで、焙煎コーヒー豆をママチャリで配達していた時期があります。

和歌山大学の近くから紀三井寺あたりまで、ママチャリで配達していました。

 

60歳前後から、疲れやすくなってきて、アレギー症状も出てきたりして、ママチャリでの配達も苦痛になって来て、配達業務から撤退しました。

エカワ珈琲店の店主は、現在64歳ですが、身体の不調が原因で、2年前に、スポーツジム通いも自動車の運転と所有も取止めています。

 

で、最近、一時ほど、身体の不調も深刻では無くなっているので、和歌山城の周りをゆっくりと歩いたりする運動を再開しています。

年齢が年齢ですから、楽しみや趣味を目的としてではなくて、健康維持を目的とした運動をして行きたいと考えています。

 

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