年老いた珈琲豆焙煎屋のブログ

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喫茶店の物語

日本の喫茶店が衰退を続けていて、スターバックスコーヒーに代表される喫茶店チェーンもポピュラーでは無かった2000年代の中頃、喫茶店商売に郷愁を抱いていたエカワ珈琲店は、喫茶店商売について「あれこれ」と思索していたことがあります。

その頃の記事の幾つかに、2017年現在の視点で修正を加えたのが、この「喫茶店の物語」と題する記事です。

 

【1】喫茶店の盛衰

20世紀中頃以降の日本において隆盛をきわめ、世紀末の10年から15年の間に衰退してしまった「喫茶店」について考察してみました。

  

店舗数が隆盛をきわめていた頃の喫茶店は、同じような内装、同じようなメニュー、同じような香味のコーヒーのオンパレードで、それぞれが個人店であるはずなのに、まるでチェーン店のような趣きでした。

その頃の喫茶店は、店を開けて、ただお客さんがやって来るのを待っているだけで商売が成り立っていたわけです。

 

1980年代の後半あたりから、喫茶店や珈琲専門店の衰退が始まります。

別に、喫茶需要が減少したわけではありません。

お客さんが喫茶店の代わりに、ファミリーレストランやファーストフードの店を利用するようになっただけです。

 

2000年代の中頃、40歳代後半から70歳代前半くらいまでの世代が喫茶店に戻って来てくれれば、喫茶店は復活するという意見が存在していました。

しかし、彼ら・彼女らは、昔ながらの喫茶店を利用する必要性を感じないから、喫茶店を利用しなくなったのだと思います。

 

【2】純喫茶店と珈琲専門店

喫茶店という業態ですが、日本独自の業態だと、何かの本で読んだことがあります。

その喫茶店の一業態で、1970年代から80年代前半に隆盛を誇ったのが珈琲専門店です。

 

1970年代に登場した珈琲専門店は、不特定多数のお客さんではなくて、特定の常連客をターゲットにしていました。

ですから、珈琲専門店と純喫茶店を比較すれば、コストパフォーマンスが全く違っています。

 

珈琲専門店は純喫茶店よりも、相当に少ない資金で出店が可能で、小規模な珈琲専門店なら、夫婦2人で充分に経営できます。

それに、お客さんの滞店時間も、純喫茶店と比較すると極端に短かったので、効率は抜群でした。

 

個人経営の純喫茶店が、お客さんの過剰な勝って気ままにいちいち対応していれば採算割れになってしまいます。それが、純喫茶店が衰退した一番の理由なのだと考えています。

 

純喫茶店と違って、珈琲専門店は、個人で経営するのなら、理想的な喫茶店の形だと思います。

珈琲専門店の衰退理由は、経営者が、主力商品であるコーヒーを大事にしなかったからで、それが、店の応援団の離反を招いたのだと考えています。

 

【3】喫茶店と布フィルター

その昔、昭和40年代の終わり頃まで、ほとんどの喫茶店では、コーヒーを布フィルターで淹れていました。

コーヒー専門店=サイフォンコーヒーとなったのは、昭和の後半、1970年代の中頃以降のことです。

 

同質化してしまって、工業製品となってしまった焙煎コーヒー豆の弱点をカバーするために、布フィルターではなくて、サイフォンという特別な道具を使って抽出するコーヒー専門店が出現して、普通の喫茶店に取ってかわったのだと思います。

 

【4】モーニングサービスの歴史

昭和30年代の中ごろ、1960年頃のモーニングサービスは、コーヒー1杯の価格でゆで卵かトーストが付いて来る、といった簡単なものでした。

それが、東京オリンピックの年、昭和39年頃になると、1960年頃のモーニングサービスとは別個に、独立したメニューとしてのモーニングサービスがメニュー表に載っていました。

価格は、コーヒー1杯の価格の2倍くらいだったと記憶しています。

 

【5】コーヒーハウスと茶屋

17世紀~18世紀のイギリスでは、コーヒーハウスが文化人の社交場として繁盛していたと記録されています。

昭和の時代の喫茶店ですが、イギリスのコーヒーハウス的な雰囲気を持っていてハイカラな人たちの集まる喫茶店も存在していたのですが、時代劇でおなじみの「茶屋」のような存在の喫茶店が大半だったわけです。

 

17世紀~18世紀に繁栄を極めたイギリスのコーヒーハウスですが、その後、店舗数が増えすぎたことと、店のモラルも客のモラルも、どちらも低下してしまった結果、いつの間にか姿を消してしまいました。

 

江戸の時代、いたるところに存在していた「茶屋」ですが、こちらも、いつの間にか姿を消してしまいましたが、それに代って喫茶店が、街のあちらこちらに存在するようになりました。

その喫茶店も、昭和57年の店舗数を頂点として、その後は減り続けています。

 

【6】喫茶店数の推移

商業統計の概念で「喫茶店とは何か」というと、「主としてコーヒー、紅茶、清涼飲料、それに簡単な食事を店舗内にて飲食させる事業所」ということになります。

 

現在の喫茶店業界、需要の拡散が続いていて、フルサービス型の個人経営の喫茶店は苦戦していて、喫茶店の店舗数が最も多かった昭和57年(1982年)頃と比べると、その店舗数は半分以下となっています

ということで、喫茶店の店舗数の推移を、調べられる範囲内で書き出してみました。

 

1962年(昭和37年) ・・・・・ 16526店

1964年(昭和39年) ・・・・・ 19850店

1966年(昭和41年) ・・・・・ 27233店

1968年(昭和43年) ・・・・・ 36083店

1970年(昭和45年) ・・・・・ 50033店

1972年(昭和47年) ・・・・・ 68146店

1974年(昭和49年) ・・・・・ 85836店

1976年(昭和51年) ・・・・・ 106937店

1979年(昭和54年) ・・・・・ 143040店

1982年(昭和57年) ・・・・・ 161996店

1986年(昭和61年) ・・・・・ 150608店

1989年(平成1年)  ・・・・・ 132116店

1999年(平成11年) ・・・・・ 94251店

2004年(平成16年) ・・・・・ 83676店

 

【7】20数年前に鞍信一さんが教えてくれた「喫茶店が生き残る方法」

1980年代の中頃、店舗数10数万店を数えていた個人経営の喫茶店ですが、1990年前後になると約13万店舗と、数年の間に3万店舗から4万店舗も減少していました。

そして、巷間では、「喫茶店からのコーヒー離れ」という風評が流れていたわけです。

 

当時の雑誌記事は、そのような風評が流れる原因と、その対策も書いています。

その記事を書いたのは、生前、高名なコーヒー研究家で「かなざわ喫茶村」の村長をされていた鞍信一さんです。

4分の1世紀以上前の記事ですが、現在(2017年)でも通用する内容の記事となっています。やはり鞍信一さんは、私たちコーヒー屋の偉大なる大先輩なのだと思います。

 

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喫茶店の物語(note版)