その昔、『喫茶店経営』という誌名の雑誌が、東京の柴田書店という出版社から発行されていました。
発行されていた期間は、1970年代前半~1990年代前半で、最初は季刊、後に月刊になったと記憶しています。
1980年代の後半から1990年代の前半、この雑誌は、時々ですが、自家焙煎店の特集記事を載せていました。年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦が2人だけで営んでいるエカワ珈琲店は、その特集記事に誘発されて喫茶店からコーヒー豆小売店に商売替えしました。
今(2020年)では、1グラム1円くらいの焙煎したコーヒー豆が、スーパーなどで売られていることもありますが、その当時はスーパーでも、200グラムで800円くらいが常識でした。
それも、スーパーで売られていたのは、賞味期限1年のレギュラーコーヒーと呼ばれている工場で大量生産されている焙煎コーヒー豆で、賞味期限が焙煎後4週間~5週間の自家焙煎コーヒー豆とは全く違った商品でしたが・・・。
自家焙煎コーヒー豆小売販売を始めたころ、価格の設定は、スーパーで売られているレギュラーコーヒーと呼ばれている焙煎コーヒー豆の価格よりも若干安く設定して、焙煎後1週間~2週間以内の新鮮な自家煎コーヒー豆の販売を心がけました。
そうすると、1年も経たないうちに販売量が300kgを超え、商売を軌道に乗せることができました。パパ・ママ店で、月間1トン前後を販売する店が、何店舗か存在していた時代でした。
そんな時代、平成3年(1992年)10月、柴田書店から発行されていた月刊雑誌『喫茶店経営』が、「繁栄の道しるべ 豆売り店の発想」という特集記事を載せています。
コーヒー豆の家庭用需要が拡大して、街に豆売り店がチラホラとですが、出店するようになってきました。儲かる、よさそうだとなると、新規参入のスピードが加速するので、豆売り店の出店スピードも増してきています。しかし、コーヒー専門店の轍を踏んではならない。
と、その特集記事の冒頭に書いてありました。
1970年代中頃から1980年代中頃にかけて隆盛を誇っていた珈琲専門店と呼ばれる街角にある小さな喫茶店が、衰退しつつあった時代のことです。
『コーヒー豆自家焙煎店が出来始めた頃』の物語に興味があるなら、note(下のリンク先ページ)に掲載している有料記事を読んで頂ければ幸いです。
参考なのですが、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦が2人だけで営んでいるエカワ珈琲店は、その昔、柴田書店が月刊で発行していた「喫茶店経営」という専門雑誌の自家焙煎特集に誘発されて自家焙煎コーヒー豆小売専門店を始めました。