年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦は、今も昔も、エカワ珈琲店という屋号で、零細生業パパママ経営の自家焙煎コーヒー豆小売専門店を細々と営んでいます。
今も昔も生業商売をしているわけですが、2000年前後の頃のエカワ珈琲店は、地域密着型商売でまあまあ繁盛していました。
地域の事業所・オフィスに自家焙煎コーヒー豆を配達する売上と、地域で働いている人や住んでいる人に店舗に来店して自家焙煎コーヒー豆を買ってもらう売上の比率が、ほぼ半分半分で、結構、忙しく働いていたわけです。
でも、競合が存在しなかったのは、その頃まででした。
その後は、毎年のように売上の減少が続き、事業所・オフィス向け自家焙煎コーヒー豆の配達販売は壊滅状態となってしまって、店舗販売でも地域のお客さんが大幅に減少してしまいました。
エカワ珈琲店を取り巻く商環境が少し異常だったと考えているのですが、店舗販売に占める店舗周辺地域のお客さんの割合はその後も減少を続けて、2010年代の半ば頃には、ほぼ皆無という状態になっていました。
中小の資本との競合なら何とか対抗することができるかもしれませんが、大手資本との競合となると対抗することはまず無理です。
しかし、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦は、大手資本との競合であっても、頑張れば何とかなると錯覚していて、何年もの間、無駄な抵抗をしてしまいました。
資本力を背景にして、目障りな競合相手なら手段を選ばず叩き潰して市場を支配するのが、時代遅れだと思うのですが、旧来型大手資本の商売の仕方だったようです。
失われた10年と呼ばれていた2000年代、外食・食品販売の業界では、そのような商法が通用していました。だから、失われた10年だったのかもしれません。
当時、急成長していた外食チェーンの大半は、小規模零細の個人飲食店からお客さんを奪うことで成長していたわけですから。
ようするに、小規模零細の個人飲食店は、外食チェーンとの底辺の競争に敗れて、その数を減らして行ったと年老いた珈琲豆焙煎屋は考えています。
零細生業パパママ店が、大手資本と同じ市場で陣取り合戦を繰り広げたところで勝ち目などあるはずがありません。
競合が厳しくなってしまって、儲からなくなってしまった市場からは撤退して、事業転換するべきだったと、現在(2020年)の年老いた珈琲豆焙煎屋なら理解できます。
商売人は、商売で儲けることで社会に貢献するべきなのですが、そのことを理解するのに10年以上の年月を必要としてしまいました。
事業転換といっても、コーヒー豆自家焙煎店から他の商売に転換する必要何て無いわけです。
自家焙煎コーヒー豆という商品の作り方、売り方、買ってもらい方に変化を加える方法を考えればよいのだと思います。
ということに気がつくのに、年老いた珈琲豆焙煎屋は、10年以上の年月を費やしてしまったわけです。
2010年代に入ってからのエカワ珈琲店は、アメリカで発生したサードウェーブコーヒー現象の影響も少しだけ受けて、競合の厳しいコーヒー市場(マスマーケット市場)の近くに存在しているだろうと考えられる、『まだ見ぬ新しいコーヒー市場』という恋人を求めて彷徨って来ました。
そして、少しずつですが、新しいコーヒー市場を開拓することで何とか生き残ることができたわけです。
話は変わりますが、半世紀近く前、作詞は一般公募で、作曲が弾厚作、歌唱が加山雄三の「まだ見ぬ恋人」が街角で頻繁に流れていました。