1970年代、1980年代、喫茶店が水商売では無くなって、儲からない商売となっていた1970年代・1980年代、パパママ経営の珈琲専門店という喫茶店業態が大流行していました。
1970年代、「喫茶店経営/柴田書店」、「喫茶&スナック/旭屋出版」という誌名の喫茶店経営者向け月刊雑誌が創刊されていて、カッパブックスから発刊されていた喫茶店経営の入門書がベストセラー街道を走っていました。
商圏人口800人で成り立つ喫茶店業態、珈琲専門店とはどんなイメージの喫茶店かと聞かれると、あだち充さんの漫画「タッチ」に登場する小さな喫茶店「南風」をイメージして下さいと年老いた珈琲豆焙煎屋は答えます。
その当時、会社勤めに疲れ、誰かに雇われているのに疲れて、気楽に働いてほどほどにお金を稼いで暮らして行けたらと思っている人たちのあこがれの生業商売、それが珈琲専門店という業態の喫茶店だったのだと思います。
当時、喫茶店(珈琲専門店)開業のハードルはそれほど高くは無かったわけです。
喫茶店開業に必要な初歩的な技術や知識が学べる喫茶店経営スクールが存在していて、ロースターと呼ばれている焙煎コーヒー豆業務卸会社も、初歩的な研修・アドバイスはしてくれたわけですから。
商圏人口800人で経営が成り立つパパママ経営の珈琲専門店が数多く登場して来て、1980年代の中頃、日本の喫茶店数は10数万店を数えました。
昭和の日本には、商圏人口800人で成り立つ生業商売が存在していたわけです。
その商圏人口800人で成り立つパパママ経営の珈琲専門店を支えていたのが、喫茶店の店舗数の増加と歩調を合わせて成長して来た焙煎コーヒー豆業務卸会社(ロースター)です。
1970年代・1980年代の初め頃までは、コーヒー豆自家焙煎店がポツリポツリと登場していましたが、喫茶店の開業ハードルがものすごく低くて、コーヒー豆焙煎会社の開業ハードルがものすごく高かった時代でした。
この記事は、noteに投稿している記事 「パパママ経営の珈琲専門店が全盛だった頃、喫茶店は商圏人口800人で成り立つ商売だった」を簡略化した記事です。
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