1960年代の喫茶店は、儲けの大きい(利益率の大きい)商売で、水商売の一つに分類されていたと記憶しています。
年老いた珈琲豆焙煎屋の実家は喫茶店を営んでいて、朝の早くから夜の遅くまで営業して、夜の営業では、風俗営業の許可を取得していたのを、何となくですが記憶しています。
1970年代の喫茶店は、水商売とは縁が無くなっていました。
実家の喫茶店も、朝は7時頃から夜の7時頃までの営業になっていて、喫茶店の営業許可だけで商売をするようになっていました。
【参考】下のリンク先ページの記事は、年老いた珈琲豆焙煎屋の実家が営んでいた喫茶店の物語です。
水商売と言われていた頃の喫茶店は相当に儲けられる商売でしたが、1970年代になって水商売から脱皮すると、水商売時代のようには儲けられません。
しかし、今のスターバックスコーヒーがそうであるように、お客さんが引っ切り無しに来店するので、十分に儲けられる商売だったと思っています。
1970年代には、喫茶店の経営を扱う専門雑誌が2誌月刊で発行されるようになっていて、喫茶店経営・開業に関する新書本がベストセラーになっていました。
その影響もあったのだと思いますが、1970年代・1980年代、パパママ経営の珈琲専門店という喫茶店業態が大流行しました。
パパママ経営の珈琲専門店は、夫婦二人だけで切り回せる喫茶店業態ですから、脱サラして、珈琲専門店を開業する人が多かったと記憶しています。
そして、1970年代、1980年代の中頃くらいまでは、新規開業の珈琲専門店の大半は、それなりに繁盛出来ていました。
1980年代、喫茶店は商圏人口800人で成り立つ商売だと言われるようになっていました。
カウンター席が10席くらい、ボックス4席のテーブルが3テーブル、2席のテーブルが1テーブル、合計24席の珈琲専門店を夫婦2人とパートさん一人で運営できれば、一家の暮らしに事欠かないくらいは、十分に稼げていました。
1970年代、1980年代と、会社勤めに疲れ、誰かに雇われているのに疲れて、気楽に働いてほどほどにお金を稼いで暮らして行けたらと思っている人たちのあこがれの生業商売、それが珈琲専門店という業態の喫茶店だったと思っています。
その当時(1970年代、1980年代)、開店資金さえ用意できれば、珈琲専門店業態の喫茶店を開業するのは比較的簡単だったと思っています。
喫茶店開業に必要な技術や基礎的な知識を教えてくれる教室が存在していて、焙煎コーヒー豆業務卸会社(ロースター)が運営している教室なら、ほほ実費で、できるだけ短期間に開業できるレベルの技術・知識を教えてもらえました。
その結果、商圏人口800人で経営が成り立つパパママ経営の珈琲専門店が数多く登場して来て、1980年代の中頃になると、日本の喫茶店数は10数万店くらいに増えて、飽和状態になっていました。
この記事は、noteに投稿している記事 「パパママ経営の珈琲専門店が全盛だった頃、喫茶店は商圏人口800人で成り立つ商売だった」と、ほぼ同じ内容の記事です。
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