30年近く前の事、年老いた珈琲豆焙煎屋の近所に手打ちうどんの店があって、ものすごく繁盛していました。だけど、どうしても売上が採算ラインに乗らないということで、廃業してしまいました。
年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の営んでいる自家焙煎コーヒー豆小売専門店は、屋号は「エカワ珈琲店」で、住居兼店舗の自己所有物件ですから、家賃は必要ありません。
30年くらい前、平成の初めバブル経済の真っただ中、年老いた珈琲豆焙煎屋宅周辺は県都の中心ビジネス街ですから、現在(2020年)と違って、テナント料がものすごく高額だったわけです。
その手打ちのうどん屋さんは、テナント料と人件費(アルバイト代)を稼ぐだけで、毎日100人のお客さんが必要だと語っていたのを覚えています。
わずか20数席くらいの店舗で、お昼の2時間とちょっとの間に100人のお客さんを毎日集めていたのですが、それでも思うように儲けられないということで、『貧乏、閑なし』だと言って廃業してしまいました。
その手打ちうどん屋さんが大繁盛していた時代、年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦の営んでいるエカワ珈琲店も、少しの期間でしたが喫茶店を兼営していたことがあります。
もともとが喫茶店からの衣替えで、喫茶店時代の店舗で自家焙煎コーヒー豆小売商売を営んでいたので、喫茶店を兼営するのは簡単でした。喫茶店時代の椅子やテーブルを物置から取り出して来て、保健所で喫茶店の営業許可を取得すればよいわけですから。
手打ちうどん屋さんで、500円前後使ってお昼ご飯を食べた人が、1杯250円のコーヒーを飲みに多数来店してくれました。おかげで、お昼の2時間くらいで、20席が2回転~3回転したのを記憶しています。
年老いた珈琲豆焙煎屋(当時は40歳前半でしたが)が営む喫茶の繁盛も、ものすごく繁盛していたうどん屋さんの閉店で終わってしまったわけですが・・・。
手打ちうどん屋さんが廃業してからも、少しの期間、喫茶店の営業を続けたのですが、暇な日が続いてバカバカしくなってしまって、自家焙煎コーヒー豆の小売販売に集中することにしたわけです。
その後、何度か、喫茶店商売に挑戦したことがあるのですが、喫茶店商売を再開するたびに赤字を計上することになるので、その後、喫茶店とは縁の無い商売を営んでいました。
2014年の春頃から、再び喫茶店営業許可を取得してコーヒーのテイクアウト商売に挑戦したのですが、2年近く経過しても鳴かず飛ばずの状態が続いていたので、妻が体調を崩したのを契機にコーヒーのテイクアウト商売は止めています。
自家焙煎コーヒー豆は、そこそこ売れているわけです。だけど、コーヒーを売る喫茶店商売は上手く事が運びません。
年老いた珈琲豆焙煎屋夫婦が商売下手なのかもしれませんが、喫茶店商売が成り立たない理由は、それだけでは無いと考えています。周辺に、繁盛している喫茶店が存在していないわけですから。
何故なのだろうと考えて、以下のような推論に到達しました。
喫茶店が繁盛していたころの年老いた珈琲豆焙煎屋が住んで商いをしている街は、県庁・市役所のような大規模な事業所だけでなくて、小規模・中規模の事業所や商店も多数存在している地方都市の中核ビジネス街でした。
現在(2020年)はというと、小規模・中規模の事業所も商店も、ほとんど無くなってしまっています。
大中小、様々な事業所や商店が存在していなければ、地方都市のビジネス街で、喫茶店が商売として成り立たないのだと思います。
その昔、地方都市のビジネス街の喫茶店は、店周辺のオフィス・店舗への出前で売上の半分~3分の2くらいを確保していたわけですから。
ウーバーイーツや出前館などのオンラインデリバリーサービスが登場して、客席を持たないゴーストレストランが注目されています。
昭和の頃のビジネス街の喫茶店は、店舗を拠点に売上の半分~3分の2くらいを出前で稼いでいました。今(2020年)なら、ゴースト喫茶店と呼ばれるかもしれません。
オフィスコーヒーサービスの登場で、その出前が無くなってしまって、ビジネス街の喫茶店の衰退が始まったと年老いた珈琲豆焙煎屋は考えています。